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年明けに投稿した、HJ誌主催の「オラワッパ大会」の結果が、今月号に掲載されてました。結果は・・・、おおっ、選外ですっ!

こういうのを“ごまめの歯ぎしり”というんでしょうが、このようにレベルの高い大会の中にあっても、選外になると一人前に残念に思うもので、審査員総評などをよく読んで、しっかりと次につなげようとページをめくると、ありがたいことに審査員の中の一人から、コメントをいただくことが出来ました。



「ありがちでは絶対にないこの場面。でも伝えたい気持ちはキツネで理解できると幸いです。」



う~ん、残念ながら、おっしゃる意味があまりよく理解できませんが、やっぱり、“ホバーなのに脱輪はありえないんじゃないか”ということを、きっちりと指摘されました。

ただ、それでいながらイチオシに選んでいただけたのには、本当に光栄なことです。決められた製作期間内に、現時点での力を出し切ることができ、大変満足しています。

型誌のコンテストにおいては、緻密で高度な工作レベルは必須で、加えて皆を納得させる設定、絵作りが求められます。今年のオラザクは、新たに「U.C.H.G」「EXモデル」「キレイ塗装」部門が新設されますようで、手探りな状態での製作が強いられますが、ますます楽しいお祭りになりそうで、本当に楽しみです。
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昨日、かの“コジマ塾”に参加してきました。主催者であるコジマ大隊長並びに参加者のみなさん、どうもお疲れ様、そして大変お世話になりました。

まずはみなさんにご報告。時間中、撮影に終始したものの、出来上がった写真は、失敗こそしていませんが、いい仕事とは言いがたいものでした・・・(T_T)。
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全部がこの写真のように、ただきれいにおさまっているだけ、というか、もっと動き出しそうな、迫力のある絵が撮りたかったんですが、ちょっと撮影場所の制約が多くて、思うようには・・・。今日画像のデータをたーちゃんに郵送しましたんで、せかさず、ゆっくりとレポを待ちましょう。

僕は、造型に関するセンスが残念ながら全くなく、プロポーションやディティールの良し悪しが判断できませんので、「電飾で光ったら楽しいな。」とか「音がなったら面白いな。」とか「動いたらカッコいいぞ。」なんていう子供じみた発想で、模型を扱っています。

ですが、アプローチは違えど、「自分の作った完成品でみんなを楽しませたい。」という考えは、きっとみなさんと同様のものだと思います。

僕は、弱小ながらもチームで活動していますので、今後、なかなか参加できる機会はないかも知れませんが、都合が合えば、是非ともまた参加させて頂きたく思いますんで、これからもどうぞよろしくお願いします。

そして、昨日会場で思いましたが、レベルや規模は違えど(いや、ほんっとに全く違いますが)、僕らのサークルの活動とそっくりだとも思いました。

工房を提供してくれ、僕が入り浸っても何一つ文句を言わない辰己宴会部長、遠い所から頻繁に顔を出しに来てくれる井上広報に、あらためて感謝したい気持ちになりました。

やっぱり仲間っていいですね。
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 先月、私用で東京に行った帰りに少し寄り道して、イエローサブマリン千葉店で開催中の模型コンテストを見てきた。いつもRUN氏のレポートで紹介されている通り、ハイレベルな作品がずらりと並んでいた。全ての作品を一つ一つ丁寧に鑑賞した後、所定のルールに従って投票し、大阪への帰路についた。


 間もなくおっちゃー氏のサイトで結果が発表された。受賞作品は大方の予想通りで、番狂わせは無い様に感じた。


 “予想通り”。何も自分の見る目があったと言いたい訳ではない。良く出来た作品を「これがいい。」と判断するのに、どんな人間にも大差はないのである。そしてその見た目通りの結果がここにある。


 この結果を見て、ふと「これが大阪ならば・・・。」という考えが頭をよぎった。




 大阪の人間は総じて自己主張が好きである。その自己主張の変異が目立ちたがりであるが、そうではない一見おとなしそうな人間でも、自分からそれなりに意見を述べる。ただ、人に賛同するだけで話を終えてしまう人間はほとんどなく、人と違った意見を独自の視点で主張し、それが賛同を得られると得意満面である。


 これは特にファッションの分野で、より顕著に見られる事例であるが、ファッションやアートなど、独自の価値観で判断を下すものに対して、大阪の人間は流行に乗る、つまり人と同じようにすることを嫌い、自分を特化なポジションに置く事を良しとする。


 この大阪人気質は、コンテスト作品の評価においても時々顔を出す。先にも述べたように、良い作品は誰がみても良い。しかし、いざ投票するとなると、「みんなが票を入れそうな作品に投票しても、何や普通やなあ。そんなことしたら、後で話する時にみんなに「ああ、やっぱりな。」って言われて会話終わってまうやん。」などと言うことが頭をよぎり、みんながズッコケそうなネタ、あるいは何か特化な手法を用いた作品を探してしまうのだ。


 そして多くの投票者にそういう心理が働けば働く程、コンテストの結果はワケの分からん方向に暴走していく。こういう人間達に囲まれた作品は、悲しいことに完成度が高ければ高いほど、票がとれない。そして大本命と思われる作品が大賞に届かなかったら、「オマエがあんな作品に投票するからやんけ。」とお互いにツッコミあい、笑うのである。


 この例え話で大賞を逃したモデラーにとっては、大変気の毒な話であるが、我が街大阪では、リアルにありそうな話である。もちろん大阪人が常にこのような行動をとっている訳ではないが、まれに模型コンテストの結果について、そうとしか考えられない分析結果が導き出されることも事実である。なぜそんなに人と違うことをしたがるのか?なぜそんなに“笑い”を重要視するのか?



 こういった大阪人の気質は、よく『大阪は中小企業を中心とした商人の町。個人で商売をするには人と同じようにしていたのでは儲からない。とにかく服装でも何でも、人と違ったことをして、客によく覚えてもらわなければならない。そして上手く商談を成立させるには相手に機嫌よく話を聞いてもらわなければならず、常に相手に笑っていてもらいたいという心理が働いている。このようにして培われてきた風潮が、今も大阪の街に息づいているためだ。』と解説される。


 このような学説が正しいかどうかは、我々大阪に暮らし、日常的にボケとツッコミにまみれている人間には、知る由もないが、大阪人=商人と、もはや日本全国でそう認知されている。そこはかとない嫌悪感とともに。


 確かに大阪の人間は経済観念についてはシビアだが、そう儲けることばかり考えているわけではない。無駄は相当に嫌うけど。


 無駄を省く=儲かるとも言えるのだが、“儲かる”という響きが嫌いなら、無駄を省く=合理的と言い換えれば良い。この“大阪人の合理的な発想”は日本全国に誇れるものであるということは間違いない。たとえ少々特異な感じがしても、自分が便利だと思うことを実践するのに、何のためらいもなく、また、周囲もそれが面白いと感じたなら、賛同することに躊躇しない。このような考え方や行動力が土壌となって、大阪発の文化や経営方法が全国に浸透していった例も少なくない。



 MGの発売以降、ガンプラブームが復活し、プラモデルそのものの進化とディティールアップパーツや工具の充実、さらに個人がホームページなどで作品を公開する機会が増えたおかげで、ガンプラ製作のハウトゥも事細かに解説され、誰でも簡単に、素晴しい作品が作れるようになった。もちろん、模型誌においてもガンプラコーナーは大盛況だ。


 ただ、深く掘り進んで模型を楽しむには、雑誌やHPなどで人から受け取った知識や技術を、そのまま実践するだけではもったいないように思う。それを自分なりに消化し、何とか自分の形にして提案していきたい。


 たとえ平均的な技法や技術しか持ち合わせていなくても、それを新しい発想で組合わせることで、これまでにない、全く新しい模型シーンを提案することは十分に可能であると、私は思う。


 何も、自分で新しい技法を開発することはないのだ。欲しいのは発想。これも特別な発想はいらない。一般にはくだらないと思われていることでも、力いっぱいやれば、見ている方にも何かしら伝わるものがあるはずだ。すると、いつかそれがスタンダードになるという可能性だってないとは言えない。


 これは地元びいきによる願望からくる、偏見に満ちた妄想であるが、恥ずかしがらずに我が道を行き、柔軟な発想で物事を推し進める大阪から、次世代のガンプラシーンのスタンダードが誕生することがあるかもしれない。
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最近あきません・・・。全く写真が撮れんのです。今までカメラとレンズの性能に任せるだけで、それなりの写真が撮れてたんで、カメラのポテンシャルを引き出す努力を怠ってきたツケが、今ここで大きな壁となって立ちはだかっているのです。

以前からホワイトバランスのマニュアル調整などには、少し挑戦したりしましたが、結局思ったほどの効果は得られませんでした(つまり調整がうまくいかなかったということですが。)。

現在、奥行きのあるポーズでもピンボケ箇所が出来ないように、かなり絞り値を上げて撮影しているんですが、シャッター速度が遅くなるために、光を取り込みすぎて白とびしてしまい、それならばと、光量を抑えてやると暗くなるという悪循環に陥っています。何よりも妙に青っちろいのが気に入りません。

そこで光量を微調整できる調光装置を購入し、白熱灯で撮影することにしました。白熱灯は、かなり赤味がかっていますが、ホワイトバランス調整(ううっ、やはり避けては通れぬ道!)で改善できるはずです。まだ試していませんが、今回ばかりは諦めずに粘り倒してみる決意でございます。
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AGのヤスリがけがキツいと言いつつ、平行してこんなこともやってます。

スケールやプロポーションその他であまり評判のよろしくない35MAXですが、色を塗り替えたりして遊ぶには面白い素材なんじゃないかと思います。何よりもザブザブウォッシングしても“割れ”の心配がないのが良いですよ。

・・・と思いつつ購入したものの、直接色を塗ったぐらいじゃぁ、この質感は変わんないかも。プロポーションは大きくポーズをとらせて背景をつけりゃぁ何とかか、などと思いながら、とりあえず全体にヤスリがけしました(この作業がイヤで、息抜きに35MAXのはずだったんだけど・・・。)。
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b0105855_23252395.jpg・・・キツイです。アクティックギア8体分のヤスリがけ。ヤスってもヤスっても全く終わりが見えてこない。

この文の左にある画像が、ヤスリをかけ終えたパーツ。そして残りが・・・。


b0105855_2330447.jpgまだこんなにも!

ああ、気が遠くなる・・・。これを全てヤスり終えたら、ようやくディティールアップやダメージ痕などの工作。これはまあサクッといくとしましょう。

今回はフィギュアをそれなりに配置させるつもりなんで、その工作はちと心配。けどまあこれも何とかクリアーできるとしましょう。

しかし最後に大物、ビッグキャリーの表面処理&工作が!

さらにはそれらを配置するベース。いくら一生懸命工作しても、“良い絵”が作れなきゃぁ全てが台無しなんで、そこはかとないプレッシャーが。仮置きと本チャンのイメージが変わったらどうしようとか。

まあいくら心配しても結局は一つ一つ丁寧に工作していくしかないですな。自分の中ではかなりカッコいい“絵”が出来ているので、皆さんにも同じ“絵”を見てもらえるよう、日々コツコツやってます。
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旧ザク爺さん、ほぼ完成しました。さっきまで「完成した!」と思ってたんですが、エプロンのポケットにドライバーを2本ささねば・・・。原作中のどのコマを見ても、必ずドライバー2本が描かれているので、これを外す訳にはいきませんわなあ。

次の日曜、コジマ塾に初参加しますんで、なんとか新作が間に合いそうでほっとしています。
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先日、何気にオラワッパ大会に出品したワッパを見ていたら・・・。

「なんじゃぁ、こりゃぁ!」

田んぼのヘリの素材の石膏と、田んぼに張った水の素材の透明レジンの間に、それはもう、バカ太いスキマが!
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「このやろう、完成から2ヵ月近く経ってまで、このオレを悩ますか。」

理由は大方見当がついています。石膏が“完全硬化”しないままに、透明レジンを張ったんで、レジン硬化後に石膏の水分が抜けた分だけ縮みを生じ、スキマがあいてしまったんでしょう。

石膏は二度硬化します。一度目の硬化である表面硬化はものすごく早いですが、二度目の硬化となる、内部の水分が完全に抜け切るまでは、時間がかかります。

けど、丸一日は乾燥させたんだけどなあ。もちろん、冬場ですから、丸一日の乾燥じゃあ不足だったのかも、と思わなくもないですが、そんなに厚く盛らなかったし、エアコンを入れた部屋で乾燥させてたんですが。

この石膏に透明レジンの組み合わせ。製作時にも、かなり僕を悩ませてくれたのですよ。これも石膏内の水分が原因だと思われますが、“このレジンを田んぼに流し込めば完成!”という時に、レジンにアホ程気泡ができましてしまったのです。

もともとこの田んぼには、兵士が落っこちた穴と田んぼから出るまでの足跡が入れてあったんですが、その足跡内に特に多く気泡が発生してしまい、表面に筆塗りで色をつけ、濁った水にかえたという経緯があります。

実際、真夏の田んぼでは水の中が気泡だらけになっていることも多いんですが、レジンは気泡が出来やすい素材ですから、いかにも作業の失敗を後付けの理由で誤魔化したみたいに思われそうなんで(いや、実際にそうなんですが・・・)、潔く(!?)塗りつぶしたワケです。

ただ、当初は、“人が歩いて濁った水が、再び澄む程時間が経った。”ということを表現しようとしていたんですが、“ワッパが落っこち、人が歩いて水が濁った。”という表現の方が、見た目に分かり易いんで、結果としてこちらの表現に落ちついて良かったと、強がりでなく、本気でそう思います。

石膏の上に透明レジンの組み合わせは初めてじゃなかったんですが、結果は好転したとはいえ初めての事故が、コンテスト出品作品の完成目前に起こってしまったんで、この2つの素材の組み合わせ(いや、透明レジンそのものかな。)、もう少し研究を進める必要がありそうです。

幸い、石膏に着色した色、その他の素材は全て残っているんで、スキマは簡単に補修できそうです。補修後の画像は、またここでアップします。
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いかれ漫房  我々(私、鈴木頭領と、辰己宴会部長、井上広報+頭領ヨメ、辰己弟)が共同で運営するHP。細々とやってますが、これからすんごいことになっていく・・・はず。

駄目男飲打買作  辰己宴会部長のブログ。身銭を切って構築される日々の記録。

漫房劇場  いかれ漫房内で私が任された一コーナー。企画開始からアクセス0行進を続ける、ある意味伝説のコーナー。

ミクロ平行世界  タカラトミー主催「バトリング大会2006」単体部門大賞を受賞された赤鼻のキムさんのブログです。すんごい造形力!!
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自分はもうエエ歳のおっさんですが、ヒマな時(のってる時は忙しくても)に、好きな作品やキャラクターでサイドストーリーをよく考えます。

模型製作だけでなく、絵画や音楽、小説など、様々なアートシーンにおいて、それにたずさわっているみんなが、「自分のアイデアは、絶対面白いぞ。」と、おそらくそう考えていると思います。そして、それはたぶん本当に面白いんだと思います。ただ、多くの人がそれを表現しうる力量が無い為に、他人にそれを伝えられないだけで。

自分の考え出した世界観を形にするのに、どんな手段を選択するのか、そしてどんな表現をするのか、などということを考えた時に、「僕はほんとうは絵が描きたかったんだよなあ。」と思います。「じゃあ、描けば?」と言われそうですが、出来るものならそうしてます。・・・そう、自分には絵を描く才能が、悲しいことに全くないのです。イラストレーターって、実際に無いものを、何であんな3次元的にとらえて描けるんだ?

けど、紙に絵を描くことが出来ないからといって、頭に絵を描くことを止めることは出来ません。だって自分の考えは、絶対に面白いんですもの。

そこで模型です。立体物を実際にいろんな角度から見ることができ、失敗しても何度でもやり直せ、完成してしまえば、その失敗の後は残らない。途中で投げ出さない根気さえあれば、自分の考えを何とか形に出来るかもしれません。モデラーはみんなそういう思い込みで、あるいは自分にそう言い聞かせて、毎日手を動かしているんだと思います。



ここからが本題。よく話題にのぼりますが、自分が模型を完成とする瞬間はいつか?ということ。「アートに完成はないんだよ。」なんていう、哲学は抜きにして、自分の製作する一つ一つの作品に区切りをつけるとすれば、僕は作品を一枚の写真にしたところで完成とします。まあこれはHPなどを運営する者視点の、かなり偏りのある意見だと思いますが。

ディオラマでも単体でも、立体物である以上、どんな角度からみても作品として成立させなければなりませんが、どの作品にも、「この作品は、ここから見て欲しい!」というポイントが、作り手の意識の中にはあります。僕の場合、そのポイントから撮影した写真が、自分の思い描いていたものと同じ絵であれば、そりゃあもう、大満足です。

模型は、実際に造形物がそこに存在し、色んな角度から見ることが出来るという点が、最大の魅力なんで、「せっかく立体にしたものを、何でまた平面に収めんねん。それに写真に撮ったら見られへん部分が出てくるやん。」と言われそうですが、もともと自分の見せたいものは“絵”なんで、そこに迷いはありません。

僕は思い描いている絵を写真という形にして発表することが、“作品”の製作者としての責任、写真には写らない部分を作りこんで“模型”の完成度を高めるのが、モデラーとしての責任だと考えています。だから、当然見えない部分も手を抜きませんが、この両者の責任のどちらを優先すべきか、またその優先順位を状況によって使い分けるべきか、ということを考えることがあります。


例えば皆さんが作品を一つ製作し、写真応募のコンテストや自分のHPなどに、たった一枚の写真しか使用出来ないとすれば、どうしますか?まずはこの例(作品のレベルが低くて例というには恐縮ですが、そこは見逃して下さいまし。)から。
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一般に一番スタンダードで、最も多く見られる構図です。模型全体を見渡すことが出来るので、この作品はこんなふうに構成されてるんだ、ということが一目で分かり、親切です。ですが、作品が小さく見えますし、人物や背景などの情報が多いものでは、遠目から見たのでは、誰が主人公なのか分かりづらく、ストーリーが伝わりにくい場合もあります。

僕は、こういう写真は、見る側にも作品の色合いや工作、構成などを見極め、製作者の意図する世界観を導き出すという、高い技術が必要だと感じます。

次にこの写真。
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作り手がどういうシーンを頭に描きながら製作したかがよく分かり、とくに模型に関する知識の無い人でも、見た目に楽しめると思います。ただ、コンテストなどの場合は、工作的なことを評価しづらいので、これ一枚だけではどう評価されるのか微妙ですし、自分の製作した“模型”を正しく判断してもらえるかどうかという不安があるので、これだけを発表するとなると結構勇気がいります。

幸いHPも写真審査のコンテストも、写真の枚数制限はありませんので、自由に絵を選ぶことが出来ますが、もしたった一枚という制約があるのなら、僕は迷わず背景つきの絵を選びます。僕が模型を製作するのは、僕の脳内映像を公開する為の手段なんで、自分が思い描いたものと同じシーンを、人に見てもらいたいからです。

ただ、実物を人にみてもらうと、自分では気付かなかった角度からのストーリーを教えてもらえることがあるんで、そこはやっぱり模型でなくてはだめで、なかなかCGに手を伸ばす気持ちには・・・。もちろん工作が楽しいという自分の意思もありますが。

今は例えにディオラマを用いましたが、単体でも同じ考え方ができると思います。自分はまだそういう作品を作ったことがないんで、画像はありませんが、改造によって左右の手足の長さを変えたり、一般にはあまり手を入れないような部分に、執拗なまでに手が加えられているものは、“この絵を見て欲しい!”という強い思いが作品に反映されているんだと思います。こういうコンセプトで作られた作品は、工作力は抜きにしても迫力があります。

まれにすべてのバランス、ディティールに手が加えられた究極ともいえる作品(好みの評価は別として)がありますが、自分はそういうのは見るだけにしています。自分もそこを目指したら、間違いなく潰れちゃうんで(笑)。

えーっと、だいぶ脇道にそれましたが、話を戻しまして、自分の目指すモデリングですね。何だか何を書いてるのか、よく分からんようになってきましたが、僕は過去に製作した模型を、デスクトップの壁紙にしてるんで、その種類が一つでも多くなるように・・・、って締めもだいぶずれてますか?
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